peacefuruのブログ

好きな音楽やギターのこと。その他気になることを書き連ねます。

マイノリティ について 省みること


ふるふるです。

今日は周囲の人間関係から目の当たりにし感じた事を簡単ではありますが、書いてみたいと思います。


不快な行為、物事に対して

人間誰しも「不快と思う事、規範に反していると思う事」を目の当たりにすると、その行為や物事を排除するために攻撃して、正そうとしたり見なくても良い様に蓋をしたりします。


凸さん

「間違っている!」「あなたはこのままではダメです!」「あなたのこの行為で迷惑している!」
時には仲間を募って間違いである事を証明します。
中には「自分も同じ境遇なのに、あなたは何故そうなのか。」という、親身になっている(?)反応をする人も。


凹さん

叩かれている人はもちろん、居心地が悪くなります。
そうなる理由がわかっているのか、わかっていないのか。

でも、そのコミュニティからなんとなく離れられずそこに居たり。そして、また繰り返したり。
あっけらかんとしてる人、少し気付いて居づらさを感じている人、自分を責めて償おうとする人。

その光景を見て思うこと。

「腹立たしい行為をする人に腹を立てること」
わかります。
「自分はこうしているのに、あの人はこうしていない!」
あなたが日々努力していること。わかります。
「あの人は気付いていないよね」
たしかに。気付いていないと思います。

省みること

けど、僕は思います。
圧倒的な力で意見をぶつけているのはどちらでしょうか。
規範だ!と言い、ちゃんとその「規範」を理解しているのは。
その相手よりももし、理解しているならそれを武器にせずに接する事ができるのではないでしょうか。

多数と少数では、それが真実かどうかという事以前に優劣が生じてしまいます。

それはら動物の世界では当たり前だとは思います。
けど、それをどうにかできる。省みることができるのが人間だと思います。

一度、その人を「正す」前に、立ち止まって省みることが大事なのではないでしょうか

ありがとうございます!


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