何者にも傷付けられない自分
ふるふるです。
いよいよ、冬到来。寒くなって参りました。でも寝やすくなって気持ちはスッキリです。
今日は何者にも傷付けられない自分という事で、簡単に書いて行きたいと思います。
ほんとうは自分
人は他者から悪意のあるであろう言葉を受け取った際に、怒りそして、悲しみます。僕もそうですし、そういう方が大半?だと思います。
しかし、以前僕が読んだ本では(たぶん仏教か、加藤諦三さんの著書)だったと思うのですが、その中にあった内容は、
「ほんとうは他者から傷付けられるという事はない。他者から放たれた言葉を受け取った自分の解釈が、自分を怒り悲しませているのだ。」
と、いうこと。
確かに。その「発言を受け取った後の自分」と、「発言を受け取る前の自分」に何の差があるというのでしょう。
自分というのはプラスもマイナスもない、完全な個であり外的要因でグニャグニャ変化するアメーバではありません。
自分の解釈が世界の見方を変える
怒り悲しむという感情は、自分をより退屈にさせて、自分自身はつまらない人間だ…という風に感じさせて、ただただ、二度と戻らない大切な時間だけを浪費します。
あまりにもショックで世界が入れ替わったような錯覚を受ける時もあると思います。
でも、何も変わっていません。変わったのは自分の解釈です。
これは、以前に投稿したお題 「どうしても言いたい!」 - peacefuruのブログで、僕の恩師が言っていた事と繋がります。
「全ては気の持ちよう。」=「解釈の仕方」では、ないでしょうか。
(もちろん、この話は「暴言を放っても良い」という事ではありません。
言葉という刃物を見えない事を良いことに他者に対して放つ事は許される行為ではないと思います。それは大前提で。)
少しでも大切に、限られた時間を過ごすために
最近は、腹が立ち悲しいと思う事があると上記を思い出して、空にポイっと飛ばすようにしています(笑)
負のサイクルに身を任せていては、時間がいくつあっても足りませんから。
何かあった時に、少しでもこの話を思い出して、欲を言えば気持ちをラクにして頂ければ幸いです。
ありがとうございます!